(写真 湯ノ台ベースで橋山さんとビックリ再開 いつもとんでもないところで出会う仲)
2020年10月17日
青森県十和田市
湯ノ台
湯ノ台ベースを確保しウットリしていると、黒塗りのキャラバンが白熊の真横にピタッと止まる。ドアが開けられないぐらいの真横だ。「誰だ!」といぶかしげにドアを開けると、パラ仲間の橋山さん(72歳)だった。橋山さんは世界を股にかける実業家である。
「なんでこんなところにいるの?」と俺。「青森に飛びに来てんだよ」と橋山さん。彼とは2014年に種差海岸の撮影の折に出会いっていた(岩手)。そして2017年には遠州灘のロケハンをしてたら海岸で遭遇(静岡)。そして今回は八甲田山の麓で(青森)。「横浜に住んでいるはずなのに、いつもいつも神出鬼没ですな!」と俺。「お互い様だ」と橋山さん。
2014年。当時、橋山さんはパラをやっていなかった。しかし、その後開眼。グランドハンドリングをしている動画を見せて貰うと、インストラクターなみの腕っ節になっていた。ビックシ! 自分の親と同じ歳の人を仲間と呼び、パラ談義だけでなく、人生を諭してくれる俺にとっては掛けがえのない人なのだ。夕刻、八甲田山からの降ろしの風をよけながら、3時間は話し込んだ。橋山さんの取り組まれている活動。そして俺の活動。やっぱりお互いをリスペクトしての話というものは、素敵だ。そして駆け引きのなく、本音で話せる。俺はけっこう面倒くさい奴なんだけど、そんな輩にちゃんと話をつけてくれる橋山さん、流石だわ。
2014年にあったとき、彼は俺の撮影現場に来ていた。階上岳麓の休耕田をいっしょに草刈りをした。そしてベースをつくった。着陸するや「あんたは狙って飛んでるね。飛行ラインに命をみたわ」と橋山さんは言った。俺はこんなこと言われたのははじめてで、橋山さんに興味を持つようになっていった。大概「気持ちよさそうですね」だ。そのとき橋山さんは俺に、アートやってんだからと前置きし「いつか、金か名誉かを問われるときがくる、覚悟しとけよ」と言ってくれた。そしてその後、本当にそうなったのだ。大金を積まれたわけでもないし、名誉を問われてたわけでもなかった。しかし「なぜ飛ぶのか」「なぜ撮るのか」を本気で考え、完全に撮影活動は失速した。おまけにドローンが大流行して、仕事はバッサリとなくなった。そして落ちるところまで落ちた。そしてまず何とかしなくてはならなかったのは「このまま喰うために飛ぶのか? 俺の背骨はどうなんじゃい?」と自身に問うた。かなりヤバイ精神状態だよ、これは。古民家を買って大々的にリノベーションして、嫁も娘もいるのに。「父ちゃんなに難しい顔してんの by 娘」てな感じ……。人生二度目の暗黒時代ですな。まあ、そこを家族の協力のもとガチッと整理して、今の活動に至ったわけだけど、橋山さんはそれを見越していたと言うことか!?
別れ際、俺は橋山さんに言った。「あんたがくれた「金か名誉か」の話はずっと俺の心に残ってるよ」と伝えた。するととても嬉しそうに微笑み、ちょっとの間をおいて「笑顔をつくれる人になれ!」とまた置き土産をくれた。俺は就職をしたことがない。そして世間ってモノを極端に知らない。こうやって風来坊やらせてもらってるのも、サポーターのお陰様だ。「橋山さんからの言葉は響くわ」と伝えた。すると「俺だって大学卒業して即起業さ。就職なんてしたことないわ!」と。「ああ~そうなのか」。俺は今まで以上に橋山さんを近くに感じていた。やっぱり人生は仲間だな!!!
Have a nice day !!!
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